2010年01月17日

女子駅伝と阪神淡路大震災

20100117130023.jpg 全国都道府県対抗女子駅伝が行われました。家の近くを通過したので、沿道の皆さんと思わず声援を送りました。じつは私は高校時代は陸上部でしたが、長距離走は苦手でした。大学1年になって走った18キロの「深夜マラソン」でスキー部の女性にサッと抜かれたことを今でも鮮明に覚えています。以来、マラソンは走らないことに決めたのです。

 ところで、今日は阪神淡路大震災から15年目の日です。私は25年前に神戸で修習生活を送っていたので、神戸の知り合いも多く、また神戸弁護士会が避難所として活動していたので、震災後に現地に入りました。けっして天災として片付けることが許されない多くの事実を見せつけられました。復興に向けての人々の連帯のすばらしさも教えられました。

 私たちは15年前にたくさんのいのちを奪ったあの震災から多くのことを学んだはずです。でも現実のまちづくりはそれをしっかり生かしていると言えるでしょうか。京都も人と人のコミュニケーションを大切にした震災に強いまちづくりを目指しましょう。地震による人災をみんなの力でなくしていきましょう。

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2008年08月25日

オリンピック報道に思う

 北京オリンピックが終了しました。ソフトボール日本チームの優勝や男子短距離陣の悲願の銅メタルなど後半も感動的なドラマがたくさんありました。ところで、期待通りに活躍した選手がいる一方で、期待されながら、力を発揮できなかった選手もたくさん目にしました。これまでの過酷な練習に耐え、やっとオリンピックという最高の晴れ舞台に立てたのに、そのことを誇りに感じることが出来ないようでは酷です。例え良い結果が得られなくとも、オリンピックに向けての必死の努力の集積が選手に多くのかけがえのないものをもたらしてきたはずです。週刊誌などによるバッシングが始まっていますが、こうした攻撃をしかける人たちはスポーツのすばらしさをどれだけ理解しているのか大いに疑問です。
 これから選手の日常や心情を深くていねいに描く番組や記事が多数出現することを願っています。そして、スポーツが人種、宗教、思想、信条を超えて、世界の人々を友好的に繋ぐ役割をめざしたクーベルタン男爵の「オリンピック精神」が世界に広がっていくことを願っています。
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2007年05月08日

べんごしよもやまばなし(最終回)


 京都市の景観条例が成立し、九月から施行されます。遅きに失したとの感は拭えませんが、それでも「古くて新しい都市」京都のあり方についてのハード面の提示としては大きな意義を有するものです。


 パリ、ロンドン、ミラノなどヨーロッパの魅力的な都市はそれぞれ個性豊かな「顔」を持っています。ところが近年の日本の都市は何処も彼処も「ミニ東京」になってしまっています。それは単に建物の外観だけを言っているのではありません。衣・食・住の生活様式や働き方、文化をふくめてのことです。今回の景観条例の成立は、そこで暮らす私たち京都市民がこれからの京都をどう創っていくのかを一緒に考えていく出発点としてとても貴重なものと考えます。

 京都は歴史的建造物や伝統産業のぎっしり詰まった極めて貴重な都市です。それを大切に保全し後世に伝えることは私たちの役目です。しかし、京都の顔はそれだけではありません。京都は同時にわが国の優れた頭脳や技術の宝庫でもあります。多くの優れた大学を有し、最先端の科学技術をリードする優れた研究機関が多数存在します。職人の技と高度先端技術を併せ持つきわめて優れた近代的都市でもあります。こうした京都のすばらしさを基礎としてこれから「京都らしさ」をどう象っていくのか、みんなで一緒に考えていく必要があります。そして、これからの京都を考えるとき、交通政策も重要な課題です。車社会による弊害の克服を検討しなければなりません。高速道路を造ることだけで交通渋滞を解消出来るはずもありません。LRTをはじめとする環境に優しい公共交通機関の整備をどうしてすすめていくかも、みんなで考えなければなりません。また、災害、とりわけ地震や火災に強い街にするための対策も重要です。今回の景観条例による高さ規制はこうした京都の新しい街づくりのための第一歩なのです。

 ところで、新しい京都を考えるとき、京都の伝統文化の継承・発展について、検討しなければならない課題があります。伝統文化、伝統行事における差別の問題です。外国人差別・部落差別・障害者差別・性差別などの問題です。残念ながらわが国も他国と同様、歴史的に人権意識が未発達な段階において、人々は十分な自覚がないままにこうした差別を内在する文化を形成してきました。そして、それは伝統行事などに引き継がれています。例えば国技である相撲でも、女性は不浄であるから土俵に載せないなどと言ったとうてい合理性のない慣行が伝統の名の下にいまだに許容されています。これに異を唱えることは伝統を破壊するものだとのレッテルを貼られます。かつて太田大阪府知事は土俵に上がると気勢を上げていましたが、今ではそのことにはまったく言及しません。それだけ強い抵抗があるのです。私はこうした伝統文化なるもののあり方には賛同できません。文化は人々の生活の中で形成されるのであり、時代の変化の中でそれに適合する形で発展させていくべきものだと思います。伝統文化も新しい時代の中で新しい時代に相応しいものとして変化していくことによって、その伝統の真髄が生き生きと輝くのではないでしょうか。

 そんなことを考えていたら、三月二四日の朝日新聞朝刊に「祇園祭山鉾巡行への女性参加を願う平成女鉾清音会」の日詰千栄会長のお話が掲載されており、大変興味深く読ませていただきました。会員の皆さんが、祇園囃子に惹かれ、女人禁制の伝統が残る山鉾巡行への参加を目指して、あきらめずに一〇年間、一歩一歩丁寧に運動を進めてきたことがよく分かりました。私は京都のお祭りの中で祇園祭が一番好きです。それは会長がおっしゃっているように祇園祭が「新進気鋭の気風と反骨精神」を併せ持つ祭りだからだと思います。伝統を重んじながら、変革を目指す平成女鉾清音会の皆さんの活動を応援したいと思います。四条河原町を女性の囃子方さんたちを乗せて巡行する山鉾、想像するだけでもわくわくします。もちろん、実現するまでにはたくさんの障害の克服と多くの方の理解が必要なことは確かです。でも、いつの日か、そう遠くないいつの日か、是非実現させたいものです。皆さんもぜひ応援してあげてください。

 一年間おつきあいいただいたこのコーナーですが、今回で終了させていただくことになりました。拙いとりとめのない文章におつきあいいただき感謝致します。皆様とまたどこかでおつきあいいただくことが出来れば幸いです。本当に有り難うございました。

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2007年04月08日

べんごしよもやまばなし11


 「いくつの時のどんな夏かは忘れたけれど、私は何人かの子ども達と一緒に、若い先生の読んでくれる童話に聴き入り、本堂のうちでもそこだけが妙に闇の濃いご本尊に手を合せ、お菓子をもらってその後は昼寝。だん王子供の家が出来て間もない頃の私のひととき」。俳優の近藤正臣さんがだん王保育園創立五〇周年記念誌に寄稿された文書の一節です。


 若い方は近藤正臣さんと言っても分からないでしょうか。少し前に蚊取り線香のコマーシャルにコミカルなカッパとして出演した俳優さんです。五〇代の私たちには「柔道一直線」と言うスポ根ドラマでピアノの鍵盤の上を跳ねていたシーンが印象的です。でも本来はとっても格好いい二枚目俳優として多くのドラマで活躍していました(います?)。戦後間もない一九四七年の夏休み、川端三条に位置するだん王法林寺は地域住民の協力の下、寺を開放して「子供はみんな、だん王へいらっしゃい」と呼びかけ「子供の家」を開設しました。

 ここに登場する本堂こそ、数回前に書かせていただいた「肝試し」の会場なのです。 うちの息子は、ここで四年間夜間保育園にお世話になり、小学生になると学童保育に通い、そして児童館が運営する「わんぱくクラブ」に小学校卒業まで参加しました。「わんぱくクラブ」の活動の一環としてドッジボールが取り組まれました。保育師さんの一人が大学生時代にハンドボールの(名)選手だったことから指導にあたってくれたのでした。チーム名は「だん王ファイターズ」と名付けました。

 皆さんはドッジボールの試合を見たことがありますか。多くの方が小学校時代に経験したことがあると思いますが、正式なスポーツとしてのドッジボールは皆さんが経験されたものとは大分違います。実は全国的には大人の大会もあるのですが、中心は小学生の大会です。小学生の大会には京都府下で四〇チームほどが参加し、さらに関西大会、全国大会とあります。かつては佐川急便や大塚食品などがスポンサーとして運営してくれたのですが、企業の経費節減と言うことでマイナーなドッジボールからは撤退してしまい、現在は完全な自主運営です。

 監督・コーチは、選手である小学生の親やかつて親であった方、あるいは学校の先生です。また、審判員も親やかつて親であった方たちがほとんどです。すべてボランティアです。また各チームとも練習会場の確保に苦労しています。小学校の体育館でさえ、なかなか借りることが難しいのです。京都市だけではないのでしょうが、「教育」の貧困を痛感します。

 話を「だん王ファイターズ」に戻します。当初指導していただいたハンドボールの名コーチは暫くして事情から沖縄に移転されました。チーム存続の危機でした。その時コーチとして危機を救ってくれたのが、やはり参加児童の親である三条東山の「大吉」のマスターでした。彼は仕事時間前の土曜日の午前中と週一回の定休日である水曜日の夕方を練習日にあてて指導にあたり、日曜日も練習試合などに参加して帰宅後すぐ仕事に入り、深夜まで勤務です。子ども達のために本当に熱心に指導されています。もちろんドッジボールの経験はなく一からの出発でしたが、今では京都を代表する名コーチの一人です。館長先生もすっかりドッジボールにはまってしまい、寝食を忘れて子ども達の指導にあたりました。親も段々はまっていきました。私も、四年前に全日本ドッジボール協会C級審判員の資格を取得しました。

 こうして、チームは段々と成長してきました。今年の冬の京都府大会は大山崎町体育館であり、私も審判として参加しました。何と真鍋町長が開会式に参加され、その後も熱心に観戦されていました。町長の参加は初めてです。さすがです。ところで、「わがだん王ファイターズ」は見事な団結力で次々と強豪チームを撃破し、初優勝を飾りました。子ども達の涙はとっても素敵でした。もちろん館長先生やコーチも私たち親も感激でボロボロでした。

 ところで、「だん王ファイターズ」では、かつて、ずっと練習でも一人孤立してチームメイトとうまくいかなかった子がいました。体格が良いこともあって、学校ではいじめっ子として暴力事件を起こし問題視されていました。その子が、チームの中で自分の有り場所を見つけ、チームの仲間との連携もうまくできるようになり、エースに成長してチームを牽引しました。子ども達がスポーツを通じて得るものは図り知れません。こうした活動がきちんと続けられるようにしていかなければならないと痛感しました。

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2007年03月08日

べんごしよもやまばなし10

 本誌で「ウオッチャーレポート」のコーナーを担当している「市民ウォッチャー・京都」は今年四月に創立一〇周年を迎えます。私も幹事のひとりとして設立当初から係わってきましたので、少しばかり宣伝をさせていただきます。


 「市民ウォッチャー・京都」の正式名称は「情報公開と行政監視に取り組む京都・市民の会」です。この「・」にもいろいろと思いが込められているのです。当時はまだ正式名称は漢字を並べるのが流行していたために「市民ウォッチャー・京都」は略称とされました。そのために、京都市や京都府の情報公開請求の窓口では、いつも長い正式名称を書かないと受け付けてもらえませんでした。ところが新聞は記事にするのにこんな長い名称はダメということで略称で表記したため、いつしか情報公開請求の窓口も略称での請求を認めるようになりました。「市民ウォッチャー・京都」は、この一〇年間、文字どおり京都市や京都府などの行政の情報公開と公開された資料をもとに行政の不正を追及する住民監査請求や行政裁判を手がけてきました。京都市長や京都府知事らを被告として市や府に損害金を返還させる裁判をいくつも経験してきました。返還額は数億円になります。

 そうした中で、同和団体と癒着した京都市のゆがんだ同和行政が浮き彫りになってきました。いくつかの事例を紹介します。

 京都市はかつて同和対策室長に年間三四〇万円の現金を掴み金として渡し、対策室長は自由に同和団体幹部との飲み食いに使っていました。そのことを違法として返還を命ずる判決が昨年五月二五日に最高裁で出されました。

 また、部落解放同盟の京都の各支部は、京都市に補助金を出させて和倉温泉や芦原温泉など全国各地の温泉の旅館で研修旅行をしたと報告していました。京都市から出された補助金額は一九九七年から二〇〇一年のたった五年間だけでも八一八八万円です。市民ウォッチャーがこんな補助金の支出はおかしいとして裁判を出しました。その中で、行ったと報告されていた研修旅行が実は架空であったとか、一四六名の参加者との報告が実は二六名しか参加していなかったとか、学習会など実際にはなく宴会だけであったなどの信じられない事実が、全国の旅館からの回答で判明しました。京都市と解放同盟幹部が共謀して市民の税金をかすめ取っていたのです。その後京都市は事後調査をして一部について返還をさせましたが、市民の追及がなければそのまま隠されていたはずです。

 同和地区出身者には特別の奨学金が支給されてきました。国は、同和ということだけで特別の対策をとるべきではないとして、所得の低い人に限定して返還を免除しているのですが、京都市はどんなに所得が高かろうと奨学金の免除をし続けています。所得が一千万円を超える家庭で本人が就職した後でも返還不要としています。京都市は二〇二九年まで返還免除を続けるとしており、そのために京都市が負担する金額は五〇億円にのぼります。今年度も三三三六人分として二億五五〇〇万円が支出されました。現在もゆがんだ京都市の同和行政は継続されているのです。

 一連のあいつぐ京都市職員の不祥事の根っこにあるゆがんだ同和行政を市民の手によって抜本的に改革するために「市民ウォッチャー・京都」では昨年一二月「市民の立場で京都市職員不祥事問題を徹底究明する調査プロジェクト」を立ち上げました。これも名称が長すぎるので略称を「究明プロジェクト」とし、究明プロジェクトの主任を私が担当することになりました。皆さんの応援をお願いします。この間、究明プロジェクトに沢山の方から告発報告が寄せられています。元教員の方のお話ですが、「期末試験なのに同和団体推薦で採用された用務員さんが学校に出て来ないのでわら半紙が購入できない。仕方ないので隣の学校からわら半紙を借りてきてあわてて印刷した」という笑い話のような信じられないお話もありました。また、「同和団体推薦枠で採用された学校事務員さんが一年以上も休職しているが給与もボーナスも出ている。精神的な病という診断書が出されているが、毎日近くのパチンコ屋に入り浸っている。夫も同和団体推薦の京都市の職員だが毎年正月休みは一緒にグアムに旅行しており、今年もグアムに行っている。どう見ても病気に見えない」。こんな告発電話もあります。

 他にもたくさんの告発情報が寄せられています。「犯罪の温床」とのレッテルではなく、私たち市民が誇りとする「京都市」に作り替えていくために、「市民ウォッチャー・京都」はこれからも活動していきます。皆さんのご支援をお願いします。

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2007年02月08日

べんごしよもやまばなし9


 「携帯もパソコンもTVもなかったのにどうしてあんなに楽しかったのだろう‥」。先日テレビで映画「ALWAYS三丁目の夕日」を観ました。映画館に行きたいと思いながら結局行けなかった映画でしたので、子どもが話しかけてくるのも取り合わずに熱中して観ました。


 最近は忙しくてあまり読む時間がないのですが、私はけっこう漫画本が好きで、暫く前まで「ビッグコミック」は愛読書でした。西岸良平氏の描く昭和三〇年代の東京下町の情景は、子どもの頃を思い出す懐かしさだけではなく、心がほのぼのと温まるのです。映画は東京タワーが完成した昭和三三年の設定、冒頭のくだりは映画の宣伝文句の最初の一節です。

 私は昭和二九年に千葉市で生まれました。父親は山形の農家の末っ子で満鉄の機関助手になった後、招集され南方の戦地に赴き上空を通過するB29に向かってけっして届くことのない空射砲を撃つことと穴を掘る毎日を過ごしたのでした。そして、終戦後しばらくして東京で働くようになり、結婚して千葉に住むようになったのでした。母親は満州で生まれました。母の祖父は満州の証券取引所の役員で、父は満州の新聞社の役員だったとのことです。

 僅かに遺っている子どもの頃の写真の一枚には、何段ものひな壇がある豪華なおひな様たちと一緒に映った姿がありました。四人姉妹の長女であった母は、終戦によって二〇歳そこそこでわずかの衣類だけを携えて妹三人を連れて佐世保港に引き揚げ、山梨の親戚の下に身を寄せました。そして暫くして東京に出てきて働きました。こうして結婚した二人ですから蓄えはありません。二人は長屋の一室を借りました。間もなく長男である私が生まれ、四年後に妹が生まれるのですが、私が学校に入る頃までは、同じ家の二階の六畳間に別の家族四人が住み、下の階の六畳間に私達家族が住んでいたように覚えています。

 周囲でも同じように沢山の家族が住んでいました。水道がまだ各家庭にはなく、一〇軒ごとに一カ所の共同水栓があり、バケツを持って水を汲みに行くのが子ども達の仕事でした。

 一帯が古くて狭い借家ばかりだったことから若い家族が多く、私と同年代の子どもが沢山いました。しかも、八割が男の子という状態です。私たちは毎日学校が終わると家に着くなりすぐ外に出て野球に興じていました。といってもグラウンドなど近くにないので、日常は家の前の道路が野球場です。幅三メートルの道路を長さ二〇メートル付近にホームランラインを引いてゴムボールと木のバットで遊びました。偶に車が通るのでタイムとなります。時には近くの空き地に行き三角ベースのグラウンドをつくり、「本格的」に試合をしました。毎日暗くなってボールが見えなくなるまで遊んでいました。

 もっとも土曜日の夜だけは別でした。付近で一軒だけあるテレビのある子の家に夕方六時に集合します。鉄腕アトムの時間なのです。私たちの世代が手塚治虫氏に特別の感情を寄せるのは、彼の偉業もさることながら、少年時代にはじめて観た鉄腕アトムのテレビアニメの感動があまりにも大きかったからです。

 私は一〇月一〇日が誕生日です。一九六四年の誕生日は東京オリンピックの開会式の日です。我が家にもやっと白黒テレビが登場し、誕生日のケーキを食べながら開会式をじっと見つめていました。翌日からは陸上競技の開始です。一〇〇メートル競走、二〇〇メートル競走、四〇〇メートルリレー、マラソン。家の前の道路は競技場になり、十数人の子ども達は誰もがオリンピック選手として高揚した気分で競技に参加しました。優勝すると銀紙と牛乳のふたでできたメダルを授与されました。年長の中学生が角材に釘を打ち付けて走り高跳びも実施しました。年上の子どもが相手でも負けると悔しく勝つととても誇らしげだったのを覚えています。私は高校で陸上部に所属したのですが、考えてみるとこのときの体験が影響したのかも知れません。

 あれから四〇年、我が子はテレビゲームとパソコンに熱中し、子ども達の数もめっきり減りました。あのころの私たちは貧乏でしたが、みな将来に対する漠然とした夢を持って毎日を楽しんで生きていました。我が子を含めて今の子ども達が将来に夢を持って生きているのか不安です。両親が過ごした悲惨な青春時代を繰り返したくはありません。そして、子ども達が将来に希望を持って生きていけるそんな世の中にしていくのは私たち大人の責任だと思います。

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2007年01月08日

べんごしよもやまばなし8


 明けましておめでとうございます。この原稿を執筆している現時点では、教育基本法の改正案が衆議院で強行採決され、国会会期末に向けての参議院での激しい攻防が始まるところです。成立阻止を願っているのですが…。


 ところで、各地の小中学校ではいじめを原因とする自殺が相次いでいます。今や自殺者数は交通事故死者数を大きく上回り年間三万人にもなっています。その中に、これから人生を謳歌すべき若者たちが数多く含まれていることは残念でなりません。新自由主義と呼ばれる弱肉強食思想のもとで規制緩和施策が国内を広く覆うことになりました。その中で、負け組とされた中高年、ライバルを蹴落として競い合う過酷な競争についていけない若者、競争によるストレスを弱いものに向けて発散するいじめの対象とされる子ども達。わが国の自殺予備軍は何十万人何百万人といるのではないでしょうか。とってもおめでとうなどとのんびりと言っていられない状態です。子ども達に必要なのは、「国を愛する心」ではなく「人を人として尊重する心」です。「弱肉強食に生き残る力」の養成ではなくて「みんなが幸せになるための力」の涵養をしっかりと身につけさせる必要があるのではないでしょうか。

 日本を大きく変えてしまった新自由主義思想による規制緩和政策。イギリスのサッチャーやアメリカのレーガンに習って日本も追随し、小泉前首相がこれを妄信し、まさに猛進しました。わが国を格差不平等社会へと陥れた元凶です。ところで、小泉前首相が手本としたアメリカの国内はどうなっているのでしょうか。

 昨年の一一月、日弁連の裁判制度調査のために京都より一足先に紅葉を迎えたニューヨークを訪問しました。市の中心地を南北に続くセントラルパークの木々はしっかりと色づき、多くの市民ランナーたちが行き交っていました。七年前に労働関係の調査で訪れたときと比べ、街全体がきれいになったという印象でした。9.11テロで爆破されたWTC跡地は巨大な工事現場として囲まれ、一角に慰霊のための被害者たちの写真と事件の解説、当時の写真が掲げられていました。七年前に調査のためにこのビルを訪れた時は高いだけでなくとても広く感じたのですが、跡地をみると当時の印象ほど広大な敷地ではありませんでした。七年前に調査に応じてくれた方々の中にも多くの犠牲者がいたはずです。ご冥福を祈りました。

 二一世紀の世界を大きく変えた事件現場に立ち、様々な思いが巡りました。ニューヨークの商業活動の中心街に位置し、アメリカの覇権のシンボルであったWTCの崩壊がもたらしたアメリカ市民にとっての精神的ショックが甚大であったであろうことは、現場に立って実感しました。また、色々な人と会って、事件から五年経ったニューヨークの人々が事件を冷静に分析しているなという印象も持ちました。中間選挙でブッシュ政権に痛打を浴びせたのも当然の流れだと思います。日本でもイラク戦争と政府のイラクへの自衛隊派遣についてもっときちんと議論しなければいけませんね。

 ところで、この間のアメリカの繁栄を支えてきたグローバリズムと規制緩和政策。私は今回の訪問まで、てっきりアメリカは国内でも規制緩和を徹底しているのだと誤解していました。小泉前首相はアメリカ政府が要求する規制緩和政策を次から次へと受け入れてきました。しかし、アメリカという国は外に向けては徹底した規制緩和を要求しながら、国内的にはけっして規制緩和を徹底しているわけではないようです。ニューヨークの地下鉄もバスも市が一括管理し、民間企業は参入できていません。料金はどこまで乗っても五〇セントで極めて低額に抑えられています。タクシーは現在でも統一料金が維持され、比較的低額の料金体系が維持されています。賃貸住宅の家賃の上限規制もあります。京都市と比べてもニューヨークの方がかなりの規制です。けっして何でもかんでも規制撤廃などというおかしな政策はとっていないのです。

 裁判所に関して言うと、これまで陪審員に支払われていた一日あたり一五ドルの日当が四〇ドルに値上げされました。毎年何百億ドルの予算が陪審裁判などの裁判のためにニューヨーク州から支出されています。ニューヨークだけで毎日何百人という人が裁判所に陪審員候補者として呼び出され一日中拘束されます。それでもこの制度を止めるべきであるという意見はごくごく僅かです。健全な司法を築くために時間を割いたり多くの州の予算を費やすことに市民の多くは賛成です。

 目先の利益や効率化だけで政策が決定されている日本の現状。規制緩和は何についても正しいことであるかのように振る舞うわが国の官僚たち。アメリカ政府の国内政策を深く研究した方が良いのではないでしょうか。アメリカの対日要求に従っているだけでは大変なことになりますよ
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